2009-02-12 21:09:46

2階建て新幹線

今日のニュースで、来年12月の東北新幹線、新青森延伸時に2階建て新幹線が姿を消すとの報道がございました。今後、2階建て新幹線は上越新幹線を中心に運用されるとのことです。
東京から新潟までは新幹線で約2時間ですが、せっかくならば景色の見えない1階よりも、見晴らしの良い2階の方が気持ちが良いですね。
大丸屋の最寄り駅の越後曽根に行くためには、燕三条で在来線に乗り換えて行く方法と新潟経由で在来線に乗り換える方法の二通りの方法がございます。料金的には燕三条で下車する方が得ですが、燕三条に停車しない新幹線もございますので、時間的にはどちらが良いのか微妙な所ですね。

2007-11-04 22:50:37

西川地区の歴史

西蒲区(西川地区)の歴史について、新潟市のホームページに記載がございましたので、ご紹介させていただきます。

西川地区の歴史

浦田遺跡から古墳文化時代後期の遺跡が出土され,およそ1,400年前には稲作や狩猟をし,生活していた形跡があります。また,西川流域以東には十世紀以前の住居跡などの遺跡が数多く発見されており,遺跡の所在の特徴として,西川右岸の自然堤防上を占地するものと,鎧潟の北方の低平な水田地帯を占地するものに大別されることから,西川流域と鎧潟を中心とした地域に集落をつくり,生活していたと思われます。  町制に関する地名が初めて登場するのは,寛正4(1463)年の山城国嵯峨の持地院が上田御局 にあてた文書に「曽祢村」の文字が登場します。
  曽根村は京都府の持地院の領地であったと考えられ,その後,元和4(1618)年から長岡藩の領地で蒲原組に属していました。元和6(1620)年には曽根組が設置され代官所が置かれました。
  曽根代官所は長岡藩の穀倉地帯の要として,また,長岡藩の六か組の一つの曽根組を支配するために,南は粟生津,北は新潟村,西は岩室,東は漆山,五ノ上までの近隣77か村の行政,司法,徴税を司るため,現在の曽根小学校地内に,慶応4(1816)年までの約250年間設置されていました。発祥当時の曽根村は,西川右岸の自然堤防上に出来た村落であり,西川の水運を重要な交通手段として生活を営んでいました。
  明治22年には、全国的な市制・町村制施行と同時に、それぞれの地域に33あった村が、鎧郷村・西川村・曽根村・升潟村の4村に合併しました。さらに,明治34年11月には、鎧郷村と西川村が合併し鎧郷村となり、昭和5年12月に曽根村が町制施行で曽根町となりました。昭和30年3月には曽根町と鎧郷村が合併し、西川町(にしがわまち)。その後、西川町と升潟村が合併し、西川町(にしかわまち)となり、平成17年3月新潟市と合併しました。

2007-07-16 21:35:56

地震

本日、新潟県で大きな地震がございました。

大丸屋がある新潟市西蒲区でも震度5弱を記録し、かなり大きな揺れがあったようです。

震源地に近い柏崎付近では震度6強という、とてつもない大きな揺れが記録され、自然の脅威に少々びっくりしております。

つい先日にも新潟県では大きな地震があり、このように続いて同じような地域で地震が起きるとは思ってもおりませんでした。

この度の地震により被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

2007-07-13 09:34:32

数々の秘伝

試行錯誤の結果として出来上がった、「こってり」で「さっぱり」とした「コーちゃん」特製「醤油らーめん」の麺やスープの製法。

その秘密はまだまだ、たくさんあったようなのですが、何分、それは秘伝ですので、ここではこれ以上のご紹介は、控えさせていただきます。ごめんなさい。

「大丸屋」のお嬢さんは、このようにして特製「醤油らーめん」製法の数々の秘密を、「コーちゃん」から、口伝えで教わりました。

決して、書き残すことなく・・・・。

2007-07-12 09:46:55

日々の天候に合わせた、毎日の麺作り

大丸屋」の「らーめん」の麺は、現在でも、この「コーちゃん」の試行錯誤の結果として出来あがった独自の製法に基づき、毎日丹念に作られています。

その詳細は秘伝ですので、あまり公開できませんが、麺を練り上げるのに必要な灌水の混合比率を、その季節、季節、そしてその同じ季節の中でも毎日の気温や湿度に合わせて日々変えています。

例えば、同じ梅雨の季節でも、蒸し暑い日があれば、少し涼しい日もあったり、たまにカラッとした日もあったりします。

このように、同じ季節でも日々変化していく天候に合わせて、麺の灌水の混合比率を変えていくことで、おいしい、しかも「こってり」で「さっぱり」とした「コーちゃん」特製「醤油らーめん」の品質を毎日、保つことができるようになったそうです。

2007-07-11 09:56:12

新潟の過酷な環境下での麺作り

「コーちゃん」は、お嬢さんに特製「らーめん」の作り方をひとつひとつ教えました。

決して、紙に記述させることなく、「コーちゃん」は口頭で説明をし、お嬢さんはそれをひたすら覚えていきました。

「コーちゃん」の説明では、麺のおいしさは灌水と粉の比率で決まるということでした。ただ新潟、越後では皆様ご存知のとおり、非常に厳しい冬、そして夏は非常に暑いといった環境です。

このような過酷な環境で、一年中、特製「らーめん」のおいしさを一定に保つのは、非常に困難を極め「コーちゃん」も長年の間、試行錯誤を繰り返したようです。

2007-07-10 09:35:20

そこの大丸旅館(大丸屋)のお嬢さん!

困った「コーちゃん」がふと、「大丸旅館」の周りをなにげなく見わたした時、若いお嬢さんが目に泊まりました。そのお嬢さんはまだ二十代だったようです。

「コーちゃん」はひらめきました。

「そうだ!そこのお嬢さん。まだ若いあなたなら特製「らーめん」の作り方を、紙に書かいて残さずとも、拙者が申し上げることを暗記することで覚えることができるでしょう。」

そのお嬢さんは、「大丸旅館(現、大丸屋)」の社長、清水鹿二郎さんの長女、清水トイさんだったのです。

2007-07-09 18:29:04

大丸旅館(現、大丸屋)さんへのお礼

切符が買えずに途方に暮れていた「コーちゃん」に突然、手渡された横濱行きの切符。あまりの突然のでき事に思わず「コーちゃん」は涙ぐみました。

そして続けました。

「せめてものお礼として拙者の特製「らーめん」の作り方だけでも、上海に帰る前に「大丸旅館(現、大丸屋)」さんに、お伝えさせてください。」

その申し出を受けた当時の「大丸旅館」の社長、清水鹿二郎さんは、「コーちゃん」に特製「らーめん」の作り方を紙に書いていただくようにお願いいたしました。

しかし「コーちゃん」は首を横に振り、このように述べたのです。

「申し訳ございません。それだけはだめです。中国の掟を破るわけにはいきません。嗚呼、困りました・・・・。」

2007-07-08 21:51:51

冷やしタンタン麺

ここ数日、少し蒸し暑くなって参りました。梅雨入りした時点では、本当に梅雨に入るのかどうか疑問視される天気が続きましたが、最近はすっかり、梅雨らしい天気が続いているようです。

さて、最近のように少々蒸し暑い季節になりますと、ラーメンを食べたいと思っても、熱いラーメンより、冷やし系が欲しくなる季節ですね。

「コーちゃん」の味を引き継ぐ曽根のレストランでも、夏限定の冷やしラーメンが始まっているようです。今年は、冷やしラーメンの他にも、冷やしタンタン麺がスタートしたらしいです。

もし、機会がございましたら、一度お召し上がりになってはいかがでしょうか?

2007-07-07 08:38:58

磐越西線と碓氷峠

昭和6年9月10日まで、新潟から東京や横浜まで行くためには、信越本線に乗り、長野経由で高崎線に出て東京方面に向かうか、磐越西線から、福島方面から東北本線経由で東京に向かうルートの、どちらかを選択する必要がございました。

いずれも、現在の上越新幹線のルートと比べると、相当な大回りをしており、特に信越本線経由では、碓氷峠という急勾配の難所を通過しなければならなかったため、非常に長い時間がかかっておりました。

しかしながら鉄道愛好家の方々の立場からすると、現在はどちらのルートも非常に興味深いルートになっております。

磐越西線では、貴婦人の愛称で親しまれていたSL(蒸気機関車)、C57 135号機が牽引する「ばんえつ物語号」が走っています。この観光列車の客車は今年からリニューアルされ、古き良き「汽車」の旅を最新設備の豪華な車両にて満喫することができます。ロビーカーではエレクトーンの演奏なども行われています。

また、長野経由のルート上には、かつての難所、碓氷峠に「碓氷峠鉄道文化むら」が開設されており、当時の急勾配をサポートしていた碓氷峠専用の補助機関車EF63の体験運転を行うことができます。

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